万引きは「認知症」?

弁護士 鈴木幸子

 

私が印象に残っている万引き事件が2件あります。被告人はいずれも女性でした。

 

1件は,4年前の事件。被告人は当時71歳。すでに2度万引きで実刑判決を受け服役の経験がありました。

代々農業を営む実家の離れに独りで住んでいました。実家の畑で実家を継いでいる弟家族や自分が食べる野菜を栽培し,さらに,知人の畑1反も借り受け,そこでも野菜を栽培して,一部は売って生活費の足しにしたり,知人や福祉バザーに無償で提供したりしている働き者でした。

人にお金を貸すほどの小金を貯めてもいました。

万引き当時も所持金はありました。

 

何で?

 

被告人は,弟家族からは疎んじられ,怒鳴られたり罵声を浴びせられたりして孤独でした。人とのコミュニケーションも苦手でした。ストレスが溜まると,ほぼ無意識のうちに,万引きに成功したという一瞬の快感を味わうことによるストレス解消を期待していたのでしょうか。

私には,「社会復帰後は,すべてに優先して,定期的に精神科のクリニックに通院して治療やカウンセリングを受けるように。」といった漠然としたアドヴァイスしかできませんでした。

 

もう1件は,今年に入ってからの事件。

被告人は78歳。裁判にまでは至らなかったものの過去4回万引きで捕まっていました。一人息子が独立して仕事の関係で地方に移住し,夫と二人暮らしでしたが,夫が6年前に亡くなってからはマンションで独り暮らし。夫の遺産であるマンションと預貯金数百万円を相続しており,当面の生活費には事欠かない状況でした。

いざとなれば,息子からの経済的な援助も見込めました。

万引きに,ことさら快感や満足を感じているようでもありません。

万引きする商品は決まった物でした。

 

何で?

 

ちょうどこの事件を受任したころ,私は,新聞報道で,「前頭側頭型認知症」のことを知りました。

「前頭側頭型認知症」とは,脳の前頭葉あるいは側頭葉のいずれかが萎縮し始めることにより発症します。孤独や生活不安が引き金になるのかどうかは,はっきりしません。「アルツハイマー型認知症」と異なり,日常の生活動作や会話の能力は保たれ,現在自分が居る場所や年月日,時刻を把握する能力も維持しやすいため,普段は一見問題なく生活を送れているように見えます。

特徴的なのは,同じ行動を繰りかえす「常同行動」なのだそうです。興味を引くような物が目に入ると,自分を制御できなくなるとのことです。

つい先日,3回有罪判決を受けた72歳の男性が4回目の裁判で,「前頭側頭型認知症」を理由に無罪とされました。

 

私は,2件目の事件で,一応「前頭側頭型認知症」の疑いを裁判で主張しましたが,

裁判官は全く応答なしでした。この認知症について診断治療できる医師は少なく,埼玉県内の医療機関は数か所しかありませんでした。被告人は執行猶予判決を受けました。

 

私は,被告人宅から比較的近い医療機関を紹介し,息子さんに付き添ってもらって受診するよう勧めました。

 

今,常習の万引きや薬物犯など刑罰によって再犯を防止する効果が薄い犯罪について,刑罰に代えて,支援や治療プログラムを実施する,いわゆる「治療的司法」(司法と福祉や医療との連携)の動きが始まりつつあります。これが司法制度として確立するためには,裁判所,検察庁,弁護人,医療機関,心理カウンセラー,社会福祉士,自治体等のネットワークづくりと実践の積み重ねが不可欠です。