長崎地裁平戸支部

弁護士 堀 哲郎

 

2001年10月から2002年12月までと,2004年4月から2005年10月までの2期間にわたり,長崎地方裁判所平戸支部に通いました。

いずれも埼玉県在住の人から依頼された民事事件で,原告訴訟代理人として長崎地裁平戸支部に訴え(訴訟)を提起しました。

 

わが国には全国46都府県に1つずつの,北海道に4つ(札幌,函館,旭川,釧路)の地方裁判所(本庁)と家庭裁判所(本庁)がありますが,もちろん,どこの裁判所に訴えてもいいわけではありません。

事件の種類や当事者の住所等によって「管轄」というものが定められています。

(裁判権の種々の作用を,どの種類の裁判所の職務権限として分担させるか(地方裁判所か家庭裁判所か)の定めを「職分管轄」,第1審の管轄を地方裁判所と簡易裁判所に分配する定めを「事物管轄」と言いますが,その他管轄に関する詳細は省略します。)

 

本件は,いずれも平戸市内の土地に関するもので(前者は共有物の分割,後者は境界問題),長崎地裁平戸支部が管轄裁判所でした。

ちなみに前回本ブログで紹介した事件も土地に関するもので,奈良地裁葛城支部が管轄だったわけです。

 

さて,長崎地裁平戸支部に訴えを提起したことにより,2001年10月から2002年12月までの間に2度,2004年4月から2005年10月までの間に4度,実際に平戸を訪れましたが,いずれの事件も,当時,地元(長崎地(家)裁平戸支部管内)でただ1人の弁護士が被告側の訴訟代理人に就いたこともあり,比較的短期間で裁判上の和解が成立しました。

 

当時,市民の司法アクセスの観点から,弁護士の偏在(都市部への集中,弁護士過疎地域の存在)が大きな問題となっていました。

すなわち,地(家)裁支部管内に弁護士が全くいないか,いても1人だけの地域を「ゼロワン地域」と呼んでいましたが,この「ゼロワン地域」の解消が喫緊の課題となっており(民事事件では,原告,被告の両当事者がいるので,弁護士は最低でも2人必要になるのです(弁護士は,双方の代理人になることを法律で固く禁じられており,これを双方代理の禁止と言います。)),日弁連は,このゼロワン地域解消運動を積極的に展開していました。

具体的には「ゼロワン地域」での弁護士事務所開設を支援するというものです。

長崎地(家)裁平戸支部管内には,本件訴訟が提起された頃までは,弁護士は1人もいませんでしたが,ちょうどその頃,上記の運動により,新たに弁護士事務所が開設されたとのことでした。

その結果は前述のとおりです。

ところで,現在はどうかというと,弁護士の数が爆発的に増えた結果,少なくとも「ゼロワン地域」は無くなったように思います。

むしろ多分に過剰ぎみであり,「過ぎたるは及ばざるが如し」といったところではないでしょうか。

 

長崎地裁平戸支部へは,通常は,羽田空港から飛行機で長崎空港に行き(約1時間45分のフライト),長崎空港から特急バスで約1時間30分かけて佐世保まで行き,さらに佐世保から特急バスで約1時間30分,平戸新町というバス停で下車し,そこから徒歩約5分で到着するというルートを辿っていましたが(帰りはこれと逆のルートを辿ります。),これと異なるルートを辿ったことが2度あります。

1つは佐世保から平戸までのルートで,佐世保駅からローカル線の松浦鉄道で,バスとほぼ同じく約1時間30分かけて田平平戸口駅まで行き,そこからタクシーで平戸大橋を渡って平戸島に入るというものでした。

つまり,バスより時間も料金もかかるということで,このルートは1回だけで終わりました。

なお,松浦鉄道の田平平戸口駅は日本最西端に位置する鉄道駅だそうです。

もう1つは,あるとき(初期のころ)の帰りですが,元来飛行機嫌いでしたので,このときは飛行機を利用しませんでした。

すなわち,佐世保から博多まで在来線特急で約1時間45分,博多から東京まで新幹線のぞみ号で約5時間30分かけて帰途についたわけですが,さすがに疲れ果て,以後,往復とも必ず飛行機を利用するようになりました。

 

さて,平戸島ですが,見所は沢山あります。

以下に私が巡ったところをランダムに列記します。

平戸大橋,亀岡神社,平戸城,平戸文化センター,平戸警察署(日頃,刑事事件を扱っているので興味があり,行ってみました。),オランダ井戸,ジャガタラ娘像(平戸港交流広場),平戸市役所(オランダ橋),「ウイリアム・アダムス(三浦按針)終焉の地」碑,オランダ商館跡,常燈の鼻,オランダ塀,崎方公園(フランシスコ・ザビエル記念碑,三浦按針の墓,遠見展望所),松浦史料博物館,千里ヶ浜,鄭成功児誕石,鄭成功廟,景教寺,聖フランシスコ・ザビエル記念聖堂

いうまでもなく,平戸は鎖国時代の日本にあって,海外(主としてオランダ)に開かれた唯一の通商窓口であり,当然,その関係の史跡,史料が多く残されています。

(ちなみに,ウイリアム・アダムス(三浦按針)はイギリス人,フランシスコ・ザビエルはスペイン人(バスク人),鄭成功は日系中国人です。)

が,それだけではなく,松浦党時代から平戸藩主松浦氏の時代までの史料が数多く展示されている松浦史料博物館は必見の価値があります(特に1700年オランダ製の地球儀・天球儀)。

ところで,魏志倭人伝によれば,西暦239年邪馬台国女王卑弥呼が魏に使者(正使難升米,副使午利)を送ったとされていまが,それより遡ること130年余の西暦107年には倭国(末盧国)王帥升が後漢に使者を送ったとされています。

私は,この「末盧国」というのは「松浦党」の先祖ではないかと勝手に考えています。

もちろん,松浦史料博物館にこのことを示す史料があるわけではありません。

さらに,平戸は,鄭成功生誕の地でもあるわけです。

鄭成功という人物については知らない人が多いと思いますが,私も,2001年に白石一郎の小説「怒涛のごとく」を読むまでは全く知りませんでした。

鄭成功は,明の海賊である父と日本人の母との間に平戸に生まれ,長じて,台湾を拠点に,明のために清と戦った英雄です。

そして何よりも,私が最も感銘を受けたのは,島内内陸部高台に広がる美しい棚田の風景でした。

決して有名ではありませんが,それだけに隠れた穴場と言ってよく,一番のお薦めです。

もっとも,季節によると思いますが……。

 

ここで,前記のウイリアム・アダムス(三浦按針),フランシスコ・ザビエル,鄭成功について書かれている書籍を紹介しておきます。

航海者(上・下) 白石一郎 幻冬舎文庫

南蛮のみちⅠ(街道をゆく22) 司馬遼太郎 朝日文芸文庫

怒涛のごとく(上・下) 白石一郎 文春文庫

 

以上,「長崎地裁平戸支部」でした。

さてさて次回は,松山地裁宇和島支部にしようかな,それとも青森地裁弘前支部,はたまた盛岡地裁花巻支部にしようか……。