あの日(2011.3.11)

弁護士 堀 哲郎

 

2011年3月11日(金),この日,私は当番弁護士だった。
午前8時に都内の自宅を出て,午前8時40分から同9時まで川口警察署にて既受任の被疑者に接見し,次いで午前9時58分から同10時15分まで大宮警察署にて同じく既受任の被告人に接見した後,午前11時頃事務所に入室した。
すると,当番弁護士の出動要請が1件来ていた。
勾留場所は大宮東警察署である。
もっとも,この日は午後2時から同5時30分までの法律相談(事務所相談 ― 詳しくはこちらの 法律相談のご案内 をご覧下さい。)の担当でもあったので,大宮東警察署留置管理係には,午後6時30分頃接見に赴く旨連絡を入れておいた。

 

そして,午後2時46分。
突然,ゆっくりとした大きな揺れ(後に震度6弱と判明)がやって来た。
しかも,かなり長い間……,まるで船に乗っているような感じであった。
東日本大震災である。
このとき,事務所に在室していた弁護士は,河原崎,水口,吉岡及び私の4人であるが(この外,事務局が5~6人いたはずである。),私以外の誰かが,直ちに,非常階段に出る扉をオープンにした。
すると,階上の人たちが続々と非常階段を降りていくのが見えた。
私たちは,このまま室内に留まっているのがいいのか(ちなみに事務所は3階である。),それとも外に出た方がいいのか,決断しかね,非常階段を降りていく人々を呆然と見送っていた。

 

揺れが収まった後,我に返り,自宅の固定電話や妻のケイタイに電話し続けたがなかなか繋がらず,午後3時15分頃になって,ようやく妻と連絡がとれ,家族の無事を確認することができた。もっとも,部屋の中は物が散乱し,建物自体もかなりのダメージを受けたとのことであった。

 

その後,徐々に情報が入り,鉄道はすべてストップし,運転再開の見通しは立っていないとのことであった。
自宅は都内なので(「ローカル路線バス乗り継ぎの旅」という人気番組があるにはあるが),バスでの帰宅も無理である。
というわけで,午後4時頃には,この日の帰宅を断念し,事務所に泊まることにした(帰宅困難者となった貴重な体験である。)。
もちろん,大宮東警察署(最寄りの鉄道駅は東武野田線の七里駅である。)での接見も断念せざるを得なかった。
近くの者は徒歩で帰宅するなどし,結局,私と事務局2人の合計3人がやむなく事務所に泊まることになった。
そして,午後5時頃,近くのコンビニに食料品の買出しに行ったが,ほとんど売切れであった。
周辺にも帰宅困難者が多く出たようである。

 

午後7時36分緊急地震速報が流れた。
福島沖で地震(余震)発生とのことである。
午後2時46分のときは何も流れなかったのに……

 

3月12日(土)午前11時京浜東北線の運転が再開された。
午前11時30分浦和発の京浜東北線に乗車し帰宅の途についたが,大混雑の上頻繁に停止するなどしたため,最寄りの鶯谷駅に到着したのは午後0時40分であった(通常なら28分で着くところ,1時間10分もかかった。)。
そして,帰宅して自室に入り,びっくり仰天。
自室に2つある大型の書庫の扉がいずれも破損して脱落し,中にあった書籍が床に散乱している惨状であった。
何よりも驚いたのは,大人1人が押してもびくとも動かない書庫が,揺れの方向に沿ってだと思うが,約80㎝も移動していたことである。
隣室の箪笥も同様であった。
この他,各階の壁に所々ひび割れが生じていたりもした。
このあと終日後片付けに追われたのは言うまでもない。

 

3月13日(日)午前8時に自宅を出て,午前10時ら同10時47分まで大宮東警察署にて当番弁護士として被疑者に接見し,ようやく当番弁護士の出動要請に応えることができた(なお,原則として,弁護士会に出動要請があってから24時間以内に接見しなければならないことになっている。)。
もっとも,このときの接見は異様であった。
というのは,接見室は密室であるため,日中でも灯りがないと真っ暗である。
ところが,この日は震災の影響で署内が停電となっており,そのため,懐中電灯を貸与されての接見となった。
初めての体験である。
このあと,午前11時27分から同11時44分まで大宮警察署にて既受任の被告人に接見し,次いで午後0時45分から同1時11分まで川口警察署にて既受任の被疑者に接見したが,いずれも同様であった。

 

震災の影響をもう一つ。
3月14日(月),この日,さいたま地裁で午後1時30分から刑事事件の公判が予定されており,弁論要旨も用意していた。
ところが,当日になって,震災のため,上記公判期日は職権で取り消され,1ヶ月先に延期されてしまったが,これも初めての体験である。
ところで,この事件は,事実関係に争いがなく,確実に執行猶予判決が見込まれる事件であった。
すなわち,被告人にとっては,1ヶ月も余計に身柄を拘束されることになったわけで,とんだ災難であった。