「戦争の合法化を許してはならない」

弁護士 沼尻隆一


立花隆がこの映画のために一冊本を書いていることからもわかるように,フランシス・フォード・コッポラの監督作品である「地獄の黙示録」は極めて偉大な映画だ。

先日,この映画の「REDUX(特別完全版)・オリジナル版ボックスセット」DVDの附録の小冊子の中に,コッポラ監督自身の次のような文章を発見した。


「私は,いかなる芸術家であっても,戦争に関する映画を作る場合,必然として,反戦映画を作ってしまうと考えている。たいていの戦争映画は,反戦映画なのだ。しかし,私のこの映画は,反戦映画以上のもの-『反“嘘”映画』だと信じている。戦争とは,人々が傷付けられ,拷問にかけられ,障害者にさせられ,そして殺される事だ。それを文明はウソで塗り固め,一つのモラルとして提示する。それが,私にはおそろしい。そして,それが戦争の可能性を“永久”にしていることに,震えを感じるのだ。」(HERALD PICTURES「地獄の黙示録特別完全版・オリジナル版ボックスセット」附録小冊子より)


ベトナム戦争の戦場が舞台のこの映画の中で,2メートルの波が立つという海でただ「サーフィンをしたいために」付近の村をナパームで焼き払い住民たちを殲滅するといった仕業をいとも簡単に,かつ平然とやってのける「空の第1騎兵隊」指揮官のキルゴア中佐は,軍隊組織の中では(=文明の規範の中では),部下思いの優秀な指揮官であり,戦争の英雄とみなされている。

一方,軍規等を無視してジャングルの奥地で自分に盲従する現地民を率いて戦闘行為を繰り返すカーツ大佐は,軍上層部により,あらゆる行動が「不健全」(UNSOUND)だという烙印を押されたあげく,「殺人罪」で逮捕命令が出された。

非公式な指令としてカーツの「抹殺」を命じられたウィラード大尉は,内心「戦場で殺人罪?レース場でスピード違反を取り締まるか?」と半ば呆れながら思う。



コッポラ監督がいうように,戦争のモラル化とは,文明の究極の欺瞞だ。

そこでは,「より多く殺戮した者」が「英雄」となり,「虐殺」は「正当な」行為となる。「侵略」も,「自存自衛のため」やむを得ざる行為となり,「核武装」さえも「安全保障上」必要な行為となってしまう。「徴兵制」だってそうなれば「美徳」だ。


映画の中だけの話ではない。

「ウソで塗り固めた説明」を重ねて「戦争をモラル化(=法制化・合法化)」する,そんな欺瞞だけは,絶対に許してはならない。