~ 『知と行動の巨人』 鶴見俊輔さん逝く ~

弁護士 沼尻隆一


鶴見俊輔さんが7月30日,93歳でお亡くなりになりました。


鶴見さんは,東京市長,満鉄総裁などを務めた後藤新平を祖父とし,政治家,官僚,作家でもあった鶴見祐輔を父として,大正11年に生まれ,旧制中学を退学となった後,家族と離れて米国に渡り,ほぼ独力で勉強してハーバード大に入学し,そこでプラグマティズム学派の影響を受け,日米開戦に伴い米国で収容所に入りましたが,捕虜交換のような形で日本に帰国し,日本軍から軍属(通訳)として徴用され東南アジアに派遣されます。
当時,軍から人を殺すよう命令された場合,自殺を考えていたそうです。


終戦後は,都留重人,丸山真男らを同人として「思想の科学」を創刊し,編集者として活躍のかたわら,大学でルソー研究等に従事していましたが,1960年,日米安保条約の強行採決がなされたことに抗議して,当時勤めていた東京工業大学(国立)の助教授を辞職しました。

前後して,東京都立大学の中国文学者竹内好さんも同じように,教授職を辞職しました。
いずれも

「このような日本政府の下で公務員として給料をもらっているわけにはいかない」

という強い思いからでした。


奇しくも今,「安全保障」というテーマに関し,同じような事態が国会で生じています。
安保条約の強行採決と引き換えに岸内閣は退陣しましたが,今の内閣は退陣のきざしさえ見えません。むしろ,事態はより深刻ではないでしょうか。

憲法学者の約98%が違憲・違憲の疑いがあると考えているにもかかわらず,私立大学の方は別として,今どきは誰も,辞職するような人はいらっしゃいません。
そういう筋の通し方は最早,はやらなくなったのかも知れません。


さて,その後も,鶴見さんは,大学紛争の際に同志社大学が機動隊の学内導入を決定したことに抗議して,同大の教授職を辞職したりしましたが,学究生活のかたわら「ベ平連」の活動などを通し,地に足のついた知的活動を続けました。

プラグマティズムの精神とはそういった,観念論や教条主義に堕さない実践的な知の試みでもあると思いますが,鶴見さんの活動はまさに,それを地で行った感があります。


ほかに鶴見さんは,大衆小説や漫画などサブカルチャーに対する造詣が深く,山上たつひこ氏の漫画「ガキデカ」などへの賞賛は有名です。
私も,対談かなにかで鶴見さんが,岩明均氏の漫画「寄生獣」を絶賛しているのを読んで,「さすがわかっておられる」と驚嘆したのを憶えています。


『知と行動の巨人』である鶴見俊輔さんの訃報に接し,謹んでお悔やみ申し上げます。